歴史の部屋
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20世紀以降(2)

エスコフィエと現代フランス料理
 オーギュスト・エスコフィエはフランス料理の完成者である、とよく言われます。17世紀のラ・バレンヌを嚆矢とする宮廷のオート・キュイジーヌは、その後リュヌやマシャロ、ラ・シャペルといった後継者を経て、19世紀初頭のカレームによって体系的にまとめ上げられました。その後を引き継いだグフェはフランス料理の大衆化への道を開きましたし、デュボワはフランス料理の装飾性を洗練させ、ロシア式給仕法の普及に大きな貢献をしています。大衆化と洗練。この2つの要素を融合させ、新たなフランス料理の体系を築き上げたのがエスコフィエでした。
 南仏のビルヌーブ・ルーベで1846年に生まれたエスコフィエは第2帝政期のさ中に料理人としてのキャリアを開始し、やがてパリに出て上流階級を顧客とする一流レストランで研鑽を積みます。デュボワ以前のガストロノミーを支えたグルマンたちがタレイランやカンバセレス、アレクサンドル1世、ウィルヘルム1世といった宮廷貴族だったのに対して、エスコフィエの時代には、、サラ・ベルナールやギュスターブ・ドレ、エミール・ゾラといった著名な芸術家たちがガストロノミーのパトロンとしての役割を担うようになっていました。この時代環境の違いに敏感に対応したのがエスコフィエであり、そこに彼の成功の鍵もあったのです。
 エスコフィエがキャリアを形成する上で大きな転換点となったのは、19世紀末から20世紀初頭にかけてホテル経営者として辣腕をふるったセザール・リッツとの出会いでした。1889年にロンドンにオープンした最新設備を備えたサボイ・ホテルが経営困難に直面したときに、その建て直しを託されたリッツは、総料理長として旧知の間柄であったエスコフィエを招請します。そこで厨房の一切を任された彼は、旧来のシステム、すなわちグランド・メゾンの大晩餐会を取りしきる古きよき時代の厨房のシステムを一変させ、気心の知れたスタッフによる組織的で無駄のない新しいシステムを構築したのです。
 それと同時に、肝心の料理も一新しました。エスコフィエは料理を進化するものと捉え、常に革新を目指した料理人でした。重厚で複雑な従来の料理では自由で闊達な空気に慣れた新世紀の顧客を満足させることはできない。古い伝統の殻を脱ぎ捨て新奇なものを求めようとする人びとのニーズを満たす必要がある。そう考えた彼は、新しい時代の要求に応えるべく料理の変革に挑んだのです。
 その一つは簡素化でした。エスコフィエの主著でフランス料理のバイブルと称される「料理ガイド(Le Guide Culinaire)」の1903年の初版で、彼はわざわざ「飾りつけ作業の簡素化についての考察」と題した一文を寄せています。そこで彼は従来の飾りつけについて「長所はひとつしかない。料理を荘厳に、魅力的な姿に見せることだ」と書いた上で、そうした飾りつけは技術的に難しいだけでなく時間もコストもかかる上、顧客の口に入るころには料理がすっかり冷めてしまっているとして、これを一蹴します。さらに、解決法として現代でも良く見られる蓋付きの四角いプレートを提案しているほどです。

エスコフィエが考案した供卓用の四角いプレート(Le Guide Culinaire)

 エスコフィエの革新は料理そのものにに留まりません。料理人を組織化し、料理長を中心とするチームとして役割分担を明確にしたこともそのひとつです。こうすることによって料理人の作業から無駄を省き、下ごしらえからサービスまで効率よく進めることができるようになりました。
 また、顧客がメニューから一品ずつ選んで注文する形式を廃して、オードブルからデザートまで決まった料理を出す、いわゆるコース料理を考案したのもエスコフィエでした。
 こうした料理の簡素化や料理人の組織化、コース料理はどれも、現代のフランス料理の世界でもそのまま引き継がれています。エスコフィエが「フランス料理の完成者」と呼ばれるゆえんです。

      
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