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関連資料(刊行物)

目 次   19世紀前半   19世紀後半   20世紀以降

▼▼▼▼ 書 籍 ▼▼▼▼

書名:Host and Guest, a Book about Dinners
著者:Andrew Valentine Kirwan発行年:1864年言語:英語
概 要前書きで著者が述べているように、この本は料理書ではなく、一般家庭向きの食事やデザート、ワインなどに関する本です。しかしながら、扱っている範囲は非常に広く、料理(主にフランス料理)の歴史から食卓に出されるコース料理の薀蓄まで、これ一冊で料理についての全般的な知識が得られる内容になっています。
その最後のほうに追補があり、その中で「Anthony Carême」というタイトルでカレームについてのかなり長い記述があります。カレームについては19世紀後半にはすでにその名は歴史の中に埋もれつつあり、その意味では貴重な文章であると言えますが、そのファーストネームが“アントナン”ではなく“アンソニー”と英語風になっているところにこの時代のカレームに対する見方が現れているともいえます。
この文章の核をなしているのは、実は1843年に出版された「Les Classiques de la Table」に収録された「Souvenir Ecrits Par Lui-Même」と題されたカレーム自身による(とされる)回顧録です。筆者はその英訳を通じてカレームの実像に迫ろうと試みています。ただ、英国人の文章らしく視点がやや皮肉っぽいので、その点を考慮しつつ読む必要があるかもしれません。
書籍全体をダウンロードしたい場合はこちら。
「Anthony Carême」のみのテキスト版はこちら。

書名:Grand Dictionnaire de Cuisine
著者:Alexandre Dumas発行年:1873年言語:フランス語
概 要『三銃士』の作者として知られるアレクサンドル・デュマの最後の著作。美食家としても有名なデュマは、自邸に大勢の友人知人を招いてたびたび大饗宴を開き、金に糸目をつけない贅沢な料理を振舞ったため、最晩年は資産を使い果たし、かなり零落した生活を強いられたとも言われています。そのデュマが生涯の美食の成果のすべてを注ぎ込んで書き上げたのがこの「フランス料理大辞典」です。原著は1200ページ近くあり、見出語は約750。。その中にはもちろんカレームの項目もあって、3ページにわたる記述がありますが、内容的にはほぼファヨの「カレームの死」に沿ったものとなっていて、目新しい内容ではありません。
岩波書店から見出語を3分の1程度に絞った抄訳版が出ていますが、すでに絶版。Amazon で中古本が購入できるもののベラボーな高値がついています。もともと高価な本なんですが・・・
新たにテキストを起こした読みやすいPDF版(フランス語)がインターネットで無償公開されておりダウンロードもできますので、そちらもお勧めです。

書名:Le Livre de Pâtisserie
著者:Jules Gouffé発行年:1873年言語:フランス語
概 要 カレームの弟子であったジュール・グフェが1873年に著した製菓書ですが、この前書き(Préface)の中でカレームの仕事について書いており、カレームの言う当時のエクストラがどんなものだったのか窺い知ることができます。また、グフェがカレームと出会ったいきさつについても触れられており、簡潔ながらドラマティックな記述で興味をそそる内容です。
弟のアルフォンソ(英国女王の製菓長を務めていました)による英訳版(1874年)もあります。
また、テキスト版がフランスの Wiki ソースにあり、こちらも便利です。

書名:Dictionnaire Universel de Cuisine et d'Hygiène Alimentaire
著者:Joseph Favre発行年:1891年言語:フランス語
概 要 19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したジョセフ・ファーブルの主著である「料理および食品衛生汎用辞典」は、「ラルース料理百科事典」の先がけとなるもので、当時の料理界に大きな影響を与えました。この4巻本の辞典の第2巻にカレームが独立した項目として採り上げられています。内容はそれまでに伝えられてきたカレームの足跡をなぞるもので、特に目新しいものではありませんが、注目すべきは誕生日を1784年6月7日としていることで、これがその後のカレームを紹介する多くの文献に引き継がれたことを考えるといささか複雑な思いがします。ファーブルはそれほど影響力を持った存在だったのです。
なお、この辞典はその後も何度か版を重ねていますが、世紀が変わった1905年版ではこのカレームの項目の後に1894年に開通した“アントナン・カレーム通り(rue Antonin-Carême)”についての項目が新たに加えられています。本文によると、この通りの名前を最初に考えたのがファーブルだった、とありますから、ファーブルはカレームの再評価を進めようとしていたことが窺えます。ちなみに、レアールにあったこの通りは中央市場の移転に伴って消滅し、現在はありません。
残念ながら1905年版の電子書籍はないようなので、その部分のみのPDFを用意しました。さらに興味のある方は Amazon でファクシミリ版の販売もしていますので そちら の購入も検討してみてください。

書名:Le Mémorial Historique et Géographique de la Pâtisserie
著者:Pierre Lacam発行年:1900年言語:フランス語
概 要 パティシエであり菓子文化史の研究者でもあったピエール・ラカンの労作です。この本については資料館の中の図書室で別途詳しく解説しますが、ここで特に注目したいのはこの書籍の中にカレームの手紙の全文が含まれていることです。手紙は2通あり、最初のものには1832年8月10日の日付があります。2通目には日付はありませんが、ラカンの付けた表題には「1831年に書かれた」とあります。2通とも宛名はカレームの弟子であったジェイ氏です。
ジェイ氏についてはよく分かっていませんが、ファヨの「カレームの死」の註にルーアンのレストラトゥールとありますから、少なくともパティシエというよりはキュイジニエだったのでしょう。
少し長い最初の手紙の内容は、すでに死の床にあったカレームが娘マリアとの結婚について煮え切らないジェイ氏に決断を促す、というものです。父親の心情が現れているとも見ることができますが、問題はこの手紙の信憑性です。本当にカレームがジェイ氏に宛てて出したものなのかどうか? 現物が発見されていないので何とも言いようのないところです。もちろんラカンにしろ誰にしろわざわざ創作する手間をかける理由も見当たらないので、本物である可能性は決して否定はできませんが、いずれにしてもこの本の出版と手紙の日付の間にすでに70年近い年月が経ってしまっている上、現在はそれからさらに100年以上が経過しているわけですからもはや確かめようもないことです。
2通目の手紙はこちらで。

▼▼▼▼ 論文・コラム・エッセイ ▼▼▼▼

題名:The Works of Carême
筆者:不明発行年:1859年言語:英語
概 要 カレームの著作をベースにしてその料理について論評を加える一方、後半はフランス料理と英国料理の関係について論じています。19世紀の英国の文学作品にありがちなやや気取った文体で、何を言おうとしているのか論旨を追うのに苦労します。カレームについて述べているのは前半のみ、しかもあまり重要なことを言っているわけでもないので、この時代の英国ではカレームはもはやシンボリックな存在として捉えられていたのかな、といった印象を受けます。このような高尚なエッセイでカレームが主題として取り上げられていること自体が不思議といえば不思議ですが、もしかすると筆者はカレームとその料理に言寄せて一種の文明論を語りたかったのかもしれません。

題名:Marie-Antoine Carême
筆者:Pitre-Chevalier発行年:1861年言語:フランス語
概 要 「Musée des familles(家族博物館)」第28巻(1861)に収録されたコラム。父親にパリの路上に遺棄されたカレーム少年のその後の修業時代のエピソードなどを含む史実に基づかない物語ですが、コラムというよりはむしろフィクションと言ったほうが良いような内容です。
出だしの遺棄されたカレーム少年がギャルゴットの主人に拾われる場面など、筆者は筆の赴くまま思いっきり想像の羽を広げています。羽を広げすぎて脱線する場面もあるくらいです。まあ、カレームのドラマティックな生涯には、確かに後世の作家たちの想像力をかき立てるものがあったのでしょうね。
それ以外にも、この短いコラムには荒唐無稽なエピソードが満載です。あまりにもくだらなくて面白すぎるので思わず翻訳してしまったのでした^^。いいかげんな訳ですが、興味のある方はこちらでどうぞ。

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