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カレームのプロフィール

■カレームの仕事(1)

パティシエ

カレームのキャリアは事実上バイイの店で始まりました。
バイイはパリでもっとも著名なパティシエの一人でした。したがって、カレームもこの店でパティシエの見習いとして仕事を覚えたのです。
そういう意味では、カレームの本質はパティシエであるという見方にもそれなりの理があることになります。
パティシエとして数々の革新的な創造をした、とカレームは自身の著作の中で何度も書いています。しかし、どの製品がどのように革新的だったのかというと、それは残念ながら現代の私たちには判断がつきません。どんな革新も、人びとに受け入れられて広まってしまった後ではそれが“標準”になってしまうからです。
というわけで、カレームの革新性については評価を保留せざるを得ないのですが、それ以外にもカレームがパティシエとして成し遂げたはっきりとした業績がいくつもあります。
ひとつはパティシエの地位を向上させた、ということです。
カレームの時代のパティシエは単なる職業のひとつに過ぎませんでした。フランスでは革命以前までは職業はコルポラシオンという仕組みによって護られていました。コルポラシオンというのは一種の同業者組合でドイツ圏でいうギルドに当たるものです。
コルポラシオンの制度によって職人たちは独占的にその商売に従事できるという恩恵がありましたが、その一方で彼らの社会的地位は決して高いものではありませんでした。
パティシエも例外ではありません。18世紀中頃まではパティシエのコルポラシオンはロティスール(ロースト肉業者)やキャバレティエ(キャバレー経営者)のコルポラシオンを兼ねていたので、そうした商売と同等の扱いでしかなかったのです。
もちろん、宮廷や貴族の館にはパティシエがいましたが、こうしたパティシエはコルポラシオンの枠組みに縛られた市井のパティシエとは別もので、両者の間には決して越えられない明確な一線がありました。
この一線を取っ払おうとしたのがカレームです。タレーランの屋敷を振り出しに帝政の権力者たちのいわゆるグランド・メゾンで数々の華麗な食卓を演出してきたカレームは、市井のパティシエたちが下賎な職人なみの扱いしか受けてこなかったことに大きな不満を抱いていました。
それはもちろん自らが賤民出身であるカレームの劣等感からくる上昇志向と見ることもできます。しかし、パティシエの地位を高めたいというカレームの理念はあまりにも強烈でした。
カレームは「パリの宮廷菓子職人」の序説に次のように書きます。

私の書物が刊行されてからというもの、わが国のパティスリーは急速な進歩を見せ、菓子店は私が予測したとおりのもの、すなわちおおむね第1級に近いものになった。
私は、自らが成功裡に開拓したこの分野に進もうとする若い人たちに保証する。忍耐を持ってこの道を究めれば必ず高い名声を得ることができると。

こうした言葉からは、カレームのパティシエの地位の向上にかける意志の強さと強烈な自負を読み取ることができます。
パティシエを誰にも後ろ指を差されることのない高みに引き上げるにはどうしたらいいか? それにはやはり技術の進歩が不可欠だと、カレームは考えました。
進歩は改革の中から生まれる。それには旧来のやり方を根本から見直す必要がある。
カレームは過激ともいえる改革志向に燃え、新しいパティシエ像の創造に邁進します。

私は古い偏見や忌まわしく愚かな教えを破壊してきた。私が進めてきたのはフランス料理の芸術でまさに実践しているパティシエの科学である。私は日々、新しいものを創り出している。

しかし、いつの時代にも、どんな職業にも、改革を望まない守旧派はいるものです。こうしたカレームのイノベーションがすべてのパティシエから受け入れられたわけではありません。むしろ、カレームのやり方に反発して彼を誹謗中傷するパティシエも少なくありませんでした。
しかし、それでもカレームが潰されてしまわなかったのは、その意思がきわめて強固だったことに加え、書物を通してカレームの提唱するパティスリーの放つ輝きが、非難や反発を圧倒するほど強力だったからでしょう。