Contents
カレームのプロフィール
■カレームの仕事(2)
カレームのパティシエとしてのもうひとつの功績は、ピエス・モンテを芸術の領域まで高めたことでした。
カレーム以前にももちろんピエス・モンテはありました。しかし、それはグランド・メゾンのパティシエが余技で製作する大型の飾り菓子に過ぎず、宴席の主役となりうるレベルのものではありませんでした。どんなに立派なピエス・モンテでも、主役はあくまでも料理であってピエス・モンテは単なる添え物に過ぎなかったからです。それを作ったパティシエが製作者として賞賛されることも、当然ありませんでした。
カレームはここでもその壁を打ち破ろうとし、見事それに成功したのです。
カレームのピエス・モンテが成功した理由は、ひとつにはその洗練されたデザインにありました。これはもっぱらカレームの天性の資質によるものです。
もうひとつの理由は、その精巧さです。歴史的な建物や噴水、トロフィー、花瓶などカレームのピエス・モンテには実在するモデルがあります。そのモデルをカレームは細部に至るまで菓子の素材を使って忠実に再現しました。特に建物については実際の建築と同様の正確な図面すら自ら引いたほどのこだわりようでした。
このこだわりを生んだのは、他でもないカレームが若い頃に熱心に通った王立図書館の版画室で閲覧した図版の数々です。その1枚1枚の図版をカレームはていねいに描き写しました。しかもそれだけでは飽き足らず、図版についての理論的な裏づけを得るためにわざわざ建築理論を学び、その理論をピエス・モンテの製作に応用したのです。なんという執念!
特にカレームが熱心に研究したのは16世紀イタリアの建築家ビニョーラのオーダー(円柱と梁の構成法)でした。
オーダーの研究の必要性について、カレームはピエス・モンテのデザイン集である「パティシエ・ピトレスク(Pâtissier Pittoresque、1815年)」の中で次のように語っています。
この本に収録されたデッサンの細部と全体をよく知ってもらうためには、若い技術者たちがビニョーラによる建築の5つのオーダーの詳細とプロポーションを学ぶことが絶対に必要だと考え、私はエジプト、中国およびゴシックのオーダーとともにこの本にそれを加えた。私は本書の中にこうした建築学的な詳しい知識を取り入れることによって、ビニョーラによるオーダーの概念を若い諸君が容易に汲み取れるだろうと思ったのだ。
カレームの建築に対するこだわりは、「パティシエ・ピトレスク」の出版だけではおさまりませんでした。その後、1821年から1826年にかけてカレームは「パリの美観を引きたたせる建築デザイン集(Projets d'Architecture Pour Les Embellissements de Paris)」というパティスリーとは一切関係のない本を出版します。ここまでくるとさすがに少し度が過ぎるようにも思えます。
もちろんこれは推測ですが、当時のパリにあって建築家は高尚な職業と考えられており、また芸術家としても評価されていましたから、カレームはそんな高いステータスに憧れに近い感情を抱いていたのかもしれません。だからこそパティシエもまた建築家に並び称されるような職業にしたいと考えたのでしょう。それがカレームを異様ともいえる建築へのこだわりに走らせた動機だったように思われるのです。
事実、カレームの思惑はそれほど外れませんでした。カレームの作るピエス・モンテは政府高官や諸外国の首脳たちが主催する饗宴の場で注目を集め、芸術作品としての評価を受けたのです。「パリの宮廷菓子職人」に寄せられたカレームの言葉に再び耳を傾けてみましょう。
そんなわけでエクストラの仕事に専念するためにバイイ氏の店を去る時点では、私はすでに150ものピエス・モンテを製作していたのである。その後の10年におよぶ帝政下におけるグランド・メゾンでのエクストラで、その数は倍以上になった。そして諸侯や偉大な料理人から私に与えられたもっとも喜ばしい賛辞はパティシエの建築家、フランス菓子のパッラディオ(16世紀イタリアの大建築家)という呼称であった。
カレームはたしかにパティシエの地位を向上させ、パティスリーを芸術の域にまで高めたのでした。